第21の伝承
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アブー・アムル―彼はアブー・アムラとも言われている―スフヤーン・イブン・アブドッラーフ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。
私は言った。「アッラーの御使いよ、貴方以外の誰にも訊ねることのできないような、イスラームに関する話をきかせて下さい。」するとこう答えられた。「私はアッラーを信じますと言い、それから行ないを正すことだ。」
これはムスリムの伝えている伝承である。
第22の伝承
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アブドッラーフ・アルアンサーリーの息子、アブー・アブドッラーフ・ジャービル―アッラーよ彼ら両名を嘉したまえ―の権威による。
ある男がアッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に訊ねて言った。「貴方は、もし私が定めの礼拝を務め、ラマダーン月に断食を行ない、許されたものを許されたもの、禁じられたものを禁じられたものとしたら、それ以上何をしなくとも楽園に行けると思われますか。」すると御使いは「その通り」と答えられた。
これはムスリムの伝えている伝承である。
第23の伝承
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アブー・マーリク・アルハーリス・イブン・アースィム・アルアシュアリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。
清潔さは信仰の半分である。アルハムドリッラー〔讃えあれアッラー〕という言葉は秤を満たし、スブハーナッラー〔完全無欠のアッラーよ〕とアルハムドリッラー1〔讃えあれアッラー〕の2つの言葉は天地の間すべてを満たす。礼拝は光であり、施しは明らかなる証拠、忍耐は明り、そしてクルアーンはお前のための証拠もしくは反証2である。人はみな1日を朝から始め、自分の魂を売る3。ただしその結果魂を自由にする者もあれば それを破滅に導く者もある。
これはムスリムの伝えている伝承である。
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註:
1 二つともアッラーを賞賛、賛嘆する表現。ここではこれらの言葉を唱えることの宗教的価値を説いている。
2 善悪の基準であることを意味している。
3 この部分は文学的表現だが、一日は一生の比喩として理解されよう。生涯を通じて人は魂をアッラーに引き渡すか、それ以外のものに売り渡す。
第24の伝承
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アブー・ザッル・アルギファーリー―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は至大至高の主1が預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に語られたこととして、預言者からこの伝承2を伝え聞いている。主はこう申された。
わが下僕らよ、私は不正を私自身に禁じ、お前たちの間でも禁じた。それゆえたがいに不正を働いてはならぬ。
わが下僕らよ、私が手ずから導いた者を除いてはすべて迷いの道を行く者である。それゆえ私に導きを求めれば、正しい導きを得られよう。
わが下僕らよ、私が自ら養う者を除いてはすべて飢えに悩む者である。それゆえ私に糧を求めれば、糧食を授かるであろう。
わが下僕らよ、私が衣服を与える者の他はすべて生れたままの裸である。それゆえ私に衣服を求めれば、願いは叶えられよう。
わが下僕らよ、お前たちは昼も夜も罪を犯すが、私はすべての罪の赦し手。それゆえ私に赦しを求めれば、罪も赦されよう。
わが下僕らよ、私を損なおうとしてもそれはかなわぬこと。私のためになろうと努めてもそれもかなわない。
わが下僕らよ、もしもお前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがみな、仲間のうちで一番敬虔な心の持主のようであったとしても、それで私の王国に何ひとつ付け加えることはできない。
わが下僕らよ、お前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがみな、仲間のうちでもっとも邪悪な者のようであったにしても、それで私の王国から何ひとつ減ずることはできない。
お前たちの最初の者、最後の者、人間やジンがこぞってひと所に立ち、ものをせがみ、私がみなに望みのものを分け与えたとしても、それで私の持ちものが何ひとつ減る訳ではない。減るとしても大洋に針を入れ〔その分だけ水がなくな〕るようなもの3。
わが下僕らよ、私が数えあげるのはお前たちの行ないばかり。いずれそれに相応しい報酬を与えることにしよう。
それゆえ善きこと4を見出す者には、アッラーを讃えさせよ。それ以外のものしか見出せぬ者にはわれとわが身を非難させよ。
これはムスリムの伝えている伝承である。
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註:
1 アッラーのこと。
2 この種の伝承はHadith Qudsiつまり聖なる伝承と呼ばれている。これは預言者がアッラーから直接聞いた言葉として伝えているものである。一般の伝承の内容は預言者の言葉であるが、聖なる伝承の内容は必ずしもアッラー自身の語られた言葉そのままである必要はないが、とにかくアッラーのお言葉であるため、一段と価値が高いとされている。ただし「クルアーン」の一部とみなされるようなことはない。
3 全ての被造物に対するアッラーの超越性を示唆している。
4例えば来世における善きこと。
第25の伝承
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これもまたアブー・ザッル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。
アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―のある教友1たちが預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―に言った。「アッラーの御使いよ、裕福な連中が〔アッラーの〕報奨を独り占めにしてしまいます。あの連中はわれわれ同様礼拝し、われわれ同様断食したうえに、施しのためにたっぷり富を分け与えているのですから。」
すると預言者は答えられた。「アッラーは君たちにも、施しとして分け与えるものを創られなかったかね。実際、どのタスビーハ2も施しであり、どのタクビーラ3、タフミーダ4、タフリーラ5もすべて施しなのである。善行を勧めることも施しなら、悪行を戒めることも施しであり、君たちの性の営みの中にすら施しがあるのだから。」
そこで教友たちが言った。「アッラーの御使いよ、われわれの誰かが性欲を満足させたとしても、そのために報奨が得られるのですか。」それに答えて預言者は言った。「どうだね、もし誰かが禁じられたやり方でそれをしたら、罪を犯すことになりはしないかね。同様に許されたやり方でするなら、報奨にあずかるのが道理だろう。」
これはムスリムの伝えている伝承である。
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註:
1 教友とは預言者と直接面識があり、彼を信じ、ムスリムとして他界した者を指す。アラビア語ではsahabi、複数はashabもしくはsahabahである。
2 スブハーナッラーと唱えること。第23の伝承註(1)参照
3 アッラーフアクバル(アッラーは至大なり)と唱えること。
4 アルハムドゥリッラーと唱えること。第23の伝承註(1)参照
5 ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)と唱えること。
第26の伝承
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アブー・フライラ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。
アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた。
あらゆる人間のすべての手足の骨は、陽が昇ったら毎日施しをしなければならない。相手ときちんと付きあうことも施しなら、人が乗り物に乗るのを助けたり、そこに抱きあげてやったり、持ちものを渡してやることも施しである。優しい言葉も施しなら、礼拝に赴く一歩一歩も、道路から危険なものを取り除くことも施しである。
この伝承は、アルブハーリーとムスリムの2人が伝えている。
第27の伝承
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アンナウワース・イブン・サムアーン―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われたとのことである。
高潔さは良き徳性である。〔それに引きかえ〕悪事は魂に染み付き、お前は他人にそれを詮索されることを嫌うだろう。
これはムスリムの伝えている伝承である。
他にもワービサ・イブン・マアバド―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による伝承がある。彼は伝えている。
〔預言者―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は言われた〕「お前は高潔さについて訊ねるためにやって来たのかね。」私は「はい、その通りです」と答えた。すると預言者は言われた。「自分の心に訊ねてみるがよい。高潔さとは魂が満ち足り、心も満足を覚えるようなものだ。だが悪行は魂にしみつき、他人が繰り返し「お前が法的に正しい」と言ってくれても、胸さわぎを覚えさせずにはいない。1」
これは2人のイマーム、アフマド・イブン・ハンバルとアッダーリミーのムスナド2の中に収められた由緒正しい伝承の鎖3を持つ優れた伝承である。
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註:
1 伝承の編者は上記の二つの伝承を一緒に記載しているが、これは両者が主題、文章の点で類似しているためであろう。
2 主題別ではなく、預言者から伝承を伝え聞いた人物別に編まれた伝承集。
3 伝承を聞き伝えた人々の系列をisnad(伝承の鎖)と呼ぶ。たとえばCはBから、BはAから、Aは預言者からかくかくの話しを聞いたとある場合、C・B・Aを伝承の鎖という。これらの人物が宗教心、人格、識見ともに優れていればいるほど、伝承自体の価値も高い。
第28の伝承
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アブー・ナージフ・アルイルバード・イブン・サーリヤ―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。
アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―は、われわれの心を畏怖の念で満たし、眼から涙を溢れさせるような説教をなされた。そこでわれわれはお願いした。「アッラーの御使いよ、いまのお話はまるで訣れの説教1のようでした。何とぞ私どもに良き忠告をお与え下さい。」すると御使いは言われた。「私は忠告しよう。至大至高のアッラーを畏れ敬い、たとえ卑しい奴隷がお前たちの長となっても、耳を貸し、従うのだ。お前たちのうちで〔長〕生きする者は、いずれさまざまな意見の相違を眼のあたりにするであろう。だからお前たちは私の言行2、正しい導きを受けて正道を行くカリフたち3の言行を離れてはならない。是が非でもそれに縋りついていることだ4。新たな創りごとには気をつけねばならない。新しい創りごとは〔異端者の〕勝手な考え5であり、それはみな道を踏み迷わせるものなのだから。あらゆる誤謬は地獄の劫火のものなのだから。6」
この伝承はアブー・ダーウードとアッティルミズィーの2人が伝えている。アッティルミズィーは、これが優れた正しい伝承だとしている。
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註:
1 この世に永遠の別れを告げる者の最後の説教の意。
2 言行と訳したsunnahは、本来「道」「踏み従われるべき道」の意。イスラームにおいて、例えば預言者の語った言葉、行った行為は特に後のムスリムの規範となる重要なものであるため、そのような意味を込めた「言行」と訳される。
3 正道を行くカリフたちとは、一般に預言者を継いだ四人の正統カリフをいう。この場合「正統」という訳は適切でないため、原義を取った。
4 原文では「歯でしっかりと食らいついていろ」の意。
5 bid’ahは悪い意味での「改革」、そこから「異端」「異端者の教義」の意がある。
6 原文は「道を踏み迷わせる者は劫火の中にある」の意。
第29の伝承
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ムアーズ・イブン・ジャバル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威による。彼は伝えている。
私は言った。「アッラーの御使いよ、私を楽園に導き、地獄の劫火から遠ざけるような行ないについて教えて下さい。」すると御使いは答えられた。「それは大変〔重要〕な質問だ。至高のアッラーのおかげで、〔難しいことでも〕簡単にしていただいた者には手易いことだが。アッラーを主として敬い、アッラーに似たものがあるなどと言わぬこと。また礼拝を行ない、喜捨1を払い、ラマダーン月に断食し、〔アッラーの〕家に2巡礼すること。」それからこう付け加えられた。「お前に幸福の門について教えてやるかな3。まずは断食だ。これは盾といえよう。つぎに施し。これは水が火を消すように過ちを消す。それから真夜中の礼拝だ。」それから彼はクルアーンのこの部分を唱えた。『そのような人々は寝る間も惜しく起きあがり、怖れつつ、願いつつ、一心に主に祈り、われらの授けた結構なものを心おきなく主の道に使う。この人たちのしてきたことの報いとして、どれほどの楽しみが秘かに用意されているか、誰一人知る者はない。4』それから彼は言った。「お前に問題の核心、その柱、そのもっとも際立ったものについて教えてやろうかな5。」そこで私は答えた。「はい、アッラーの御使いよ、どうかお願い致します。」すると彼は言った。「問題の核心とはイスラームだ。その柱とは礼拝で、もっとも際立ったものとはジハード6だ。」それからこう付け加えた。「ところでお前がこうしたことをどうして統御したらよいか、教えてやろうかな。」私は答えた。「アッラーの御使いよ、何とぞお願い致します。」すると彼は舌をつまんでいった。「これを慎しむのだ。」私は尋ねた。「アッラーの預言者よ、私たちは口にしたことで評価される7のでしょうか。」すると彼はいった。「ムアーズよ、お前もお袋泣かせだな8。人々の舌が収穫したもの以外に、一体彼らを地獄に逆落し9にするものがあるだろうか。」
これはアッティルミズィーが伝えており、優れた正しい伝承だとしている。
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註:
1 第2の伝承註(2)参照
2 第2の伝承註(3)参照
3 原文では相手の関心を喚起するような「・・・教えてやるまいかな」といった否定形が取られている。ただしここでは肯定的に訳した。
4 クルアーン第32章16-17節。原文ではクルアーンより長い部分を引用する際にムスリム著述家がよくするように、引用の冒頭の部分と最終の部分のみが記されている。
5 原文では問題の頭、その柱、そのこぶの上となっている。こぶはもちろんラクダのこぶのこと。ここでは意訳した。またこの文も註(3)の場合同 様「・・・教えてやるまいかな」と否定形になっており、その答えも「いえいえどうか・・・」となっているが、肯定的に訳した。次に同様な例が続く が、これも肯定的に訳した
6 アラビア語のジハードは一般に聖戦と訳されているが、これはいささか誤解を招きやすい。本来この言葉は戦闘行為のみでなく、イスラーム発展のためのあらゆる努力を指している。従って原意を尊重してアラビア語のままとした。
7 評価とは、最後の審判における評価のこと。
8 原文では非難を込めた慣習的表現「おまえのお袋はおまえに死なれるぞ」となっている。特殊な表現なので意訳した。
9 逆落としと訳した部分には異版がある。原典も「顔を真下にして」「鼻面を真下にして」の両説をそのまま記載している。
第30の伝承
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アブー・サアラバ・アルフシャニー・ジュルスーム・イブン・ナーシル―アッラーよ彼を嘉したまえ―の権威によれば、アッラーの御使い―アッラーよ彼に祝福と平安を与えたまえ―はこう言われた。
至高のアッラーは種々の宗教的義務を定められた。したがってそれを蔑ろにしてはならない。またさまざまな限界を設けられた。したがってそれを踏み越えてはならない。ある種のことがらを禁止された。したがってその禁を破ってはならない。アッラーが言及されていないものもあるが、それはお前たちにたいする憐れみの心からでたもので、決してうっかり忘れていたからではない。だからそのようなことを追い求めてはならない。
アッダーラクトニーその他が伝えている優れた伝承である。
それは、神は喜んで、続きます...